人物Character
エピソード(その2)
家族が聞いた話、思い出など
タイでピストル強盗にあったときの話
【状況】
タイのバンコクで、夕食にレストランへ行くためホテルのフロントでタクシーを呼んでもらい、タクシーに乗った。途中でタクシーが止まっていた時に強盗が無理矢理ドアを開けて押入り、ピストルを突き付けて金品を要求してきた。
【対処】
まずは身の安全を確保するため、強盗に手持ちの現金を渡し、いなくなってもらった。その後、同じタクシーでホテルに戻り、フロントで「あなた方が呼んだタクシーに乗って被害にあったのだから、ホテルが弁償すべきだ」と詰め寄り、お金を払わせた。(収支は不明)
マドリードでお財布をなくした時の話
【状況】
マドリード滞在時、夜にバルで楽しく飲んだ後、ホテルに戻りぐっすり寝た。朝起きてみるとお財布がないことに気づいた。
【対処】
知人の方に電話して、お金を持ってきてもらうようにお願いした。お腹が空いていたがお金が一銭もなく、しかしホテルの朝食は後払いにできるので、ホテルのブュッフェで優雅に朝食をとり、その方のご到着を待った。
答辞は面倒くさい?
高校3年生の卒業間近のある日、卒業式で答辞をよむよう先生がおっしゃって下さったが「こりゃ面倒くさい」と思って、即答で断った。ところが、帰宅して家族に話すと、長姉に「私が作文するから、明日学校へ行って、なんとしても引き受けてきなさい!」と言われてしまった。翌日、先生が寛大にも前言撤回を認めて下さったのだが、当時の卒業式では、和紙に毛筆で書いたものを広げて読むという慣習があり、そこでまた困ってしまった。そこに、心優しいクラスメート(女子生徒)の方があらわれて清書を申し出て下さり、親切にもわざわざ墨と筆で原稿を書いて下さった。卒業式の当日は、ちゃっかりそれを読み上げたという話です。(「そしたら、クラスの女の子が書いてくれたの」と、ちょっとうれしそうに話していた。)
中学校の先生方と賭け麻雀
中学生の頃、麻雀がお好きな先生方がいらっしゃって、平日の夜や日曜日など、頻繁に先生方に混じって麻雀を中学校の校内でやっていた。いつも「ビスケット」を賭けたという話ですが、本当にそれだけだったのかは不明。
センター試験監督は行かなくても大丈夫(?)
大学入試センター試験の主任監督官にあたったとき、うっかり忘れてしまった。朝起きてしばらくしてから思い出し、慌てて大学に駆けつけ担当の受験室に行くと、自分がいるはずの教壇に別の先生がいらっしゃり、滞りなく試験が行われていたので驚いた。のちに長女が某国立大学に就職することになったとき、「センター試験の日は、うっかり行くの忘れても問題ないよ。別の先生がちゃんとやってくれるから、慌てなくても大丈夫なんだよ」とやさしく教えてくれた。
「私の2000年問題」
2000年が近づき、ミレニアムという言葉がよくきかれるようになっていた頃のこと。どこで入手したのか、「2000」という文字のデザインのブローチを手に入れて、国際会議などの懇親会で必ず胸につけていた。すると会場で出会う方が、「あぁもうすぐ2000年ですよね」などとお声を掛けて下さるので、「最近、2000年問題が話題になっていますよね。実は私にも2000年問題というものがありまして・・・」などと言って、自分が2000年に定年退職になった後の再就職先を探していた。
下駄ローラースケート
大学に勤務する以前の民間研究所時代の話。研究室のキャスター椅子のローラーを外して、下駄の歯につけて、ローラースケートを作って、研究所内で滑って遊んでいたそうです。解体した椅子は1脚や2脚ではなかったそうです。
父とのスキー旅行の思い出(長女談)
ある年、父と子供2人で、なぜか母抜きで、スキー旅行に行ったことがあった。ゲレンデでは初日から、お昼に父はお酒を飲み始め、子供たちもカレーライスのあとデザートにソフトクリームを「1人1つずつ」食べ(これは当時の我が家ではかなり贅沢)、帰りのバスを待つときにも熱々のお汁粉を食べて、最高に楽しく過ごした。ところが、次の日の夜くらいに、父が「もしかして、ママにもらったお金がもう足りなくなってきたかも」と言い出し、急遽、極限まで節約しながら過ごすことになった。まず、朝は、スキーの身支度をすべて調えて、旅館の玄関を出たあたりでそれとなくうろうろして、宿屋のご主人が「あれ、出発ですか? 良かったらゲレンデまでうちの車でお送りしましょうか」と声を掛けて下さるまで、30〜40分くらいひたすら待つ。ゲレンデでは、1日券を2枚買い交替で使う(1人につき、2回滑って1回休み)。お昼は200円くらい渡されたので、一番腹持ちがよさそうに見えた「ポポロン」というスナック菓子を選んで、一口ずつ噛みしめるようにして、1箱を2人で分け合って食べた。ところが不運は続くもので、なんと貴重な一日券を紛失してしまい、たった1枚になってしまった。そこから先は、1人につき1回滑って2回休みとなるが、その日は大吹雪だった。真っ白の吹雪の向こうにかすかに父の滑る姿が見えたとき「パパ、早く下りてきて・・・もう凍死しそうだよ・・・」と思っていたのを覚えている。しかし、結局こうした必死の節約のため、意外とお金は余ったらしい。帰りの電車では、父はちゃっかりカップ酒やつまみを大量に買い込み、ご満悦だった。
スキー旅行の悪夢再び?
スペインの研究所に勤務していた頃、オビエドを拠点にヨーロッパ内を旅行する機会が度々あった。ある時オーストリアへ旅行をしたが、またもやうっかり現金をあまり持っていかなかった。目的地のSt. Gilgenという町はかなり田舎で、ほとんどの店ではクレジットカードが使えなかったため、現地での食費・交通費などを全て現金で賄うこととなり、旅行が完遂できるのか微妙な状況だったが、ここでもなんとか持ちこたえた。
旅行の終りに立ち寄ったウィーンの空港ではやはり、クレジットカードでお酒を買っていた。
冬の北海道
90年代ごろ、北海道大学で年に一回の集中講義を受け持っていた時期があった。集中講義の時期は夏か冬のどちらかのはずだが、なぜかたいてい冬になり、出発前にはいそいそとスキー道具一式をホテルへ宅配便で発送していた。家族が「あれ?北海道は仕事で行くんだったよね?」と聞くと、「冬の北海道は雪が深いからね、北大の構内を歩くのにスキーが必要なんだよ。」と説明していた。
お酒を飲み過ぎた時は…(次女談)
会社に就職して間もないある日、同期の友人たちと仕事帰りに飲みにいったが、その日はついうっかり飲み過ぎて気分が悪くなってしまい、友人に多大な迷惑をかけてしまった。
あとで、父に話したところ、「そういう時はすぐ救急車を呼んで、点滴してもらうといいんだよ」と、的確なアドバイスをくれた。さらに「お酒を飲んで記憶がなくなるのは普通にあることだから特に心配いらない」のだともいう。
そうは言いながらも、父は就職したばかりの娘の人間関係を案じたのか、「迷惑をかけたお詫びに、みんなを招いてパーティをしよう」と発案し、自宅に友人5名ほどを招くことになった。パーティ当日、父は張り切って日本酒、ワイン、ウィスキーなど各種アルコールを用意し、自らカクテルのフローズンマルガリータまで作って、嬉しそうに娘の友達にお酒を振るまっていた。(友人の一人はついうっかり飲み過ぎて気分が悪くなってしまった。)
出発の準備
とにかくお酒が好きだった。
ある時、ヨーロッパ旅行を終えて日本に戻る前日、次女にこんなメールを送ってよこした。
「明日出発なので、今準備のためにホテルのバーで一人で飲んでいます。」
ワインの輸入
ワイン好きが高じ、あるときスペインの最高級ワインの生産地・リオハ地方のワイナリーで直接ワインを買付け、日本に個人輸入したことがあった。それも1ダースや2ダースではなく、100ケースである。
スペインで買付けたワインは、無事に日本の港に到着した。そのとき初めて、個人輸入をするには関税の申告が必要だということに気づいた。そこで慌てて税関に相談に行ったところ、偶然、“税理士リスト”なるものを入手できて、税理士に依頼をして手続きはクリアできた。
もう一つの問題は保管場所である。自宅にはもちろん100ケースのワインを置く場所などあるわけがない。そこで、当時勤務していた理化学研究所へ直接配送することにした。配送は、人気の少ない週末の早朝を指定して、無事、人目につかないように100ケースのワインすべてを運び入れることができたという。
こうして輸入した大量のワインは、もちろん一人で飲んでしまったわけではない。幸い職場の方々が買って下さったりして、あっという間にすべてなくなった。ちなみにそのときの売値は、スペインで買付けた原価そのままだったので、輸送費も税理士費用もすべて本人負担の赤字商売だった。しかも、そのとき輸入した2銘柄の1つは、そのあとスペインで受賞したため、本国ではプレミアがついて値上がりしていたらしい。
結局、ワインの個人輸入はこれが最初で最後となってしまったが、「リオハコネクション 菅野道夫」による、ワインの紹介文がこちらである。
(PDFはこちら)

